相性が良いからいいとは限らない

占いには、占いという分野独特の言葉、専門用語というものがありますが、中にはごく普通に、日常会話で使われるようになったものもあります。

そのもっとも代表的な言葉が「相性」といってもよいでしょうか。

占いに特に関心がない人同士の会話でも、

「あの人とは相性が良さそうだ」

ですとか、

「上司とは相性が悪いからやっていけそうもない」

ですとか言われることがあります。

私自身、占いを初めて体験するというお客さまから、

「彼との相性を見てほしい」

と仰られることもよくございます。

「彼女との今後の――うーん、なんと言うのかな、うまくいくっていうか」

とお客さまが思案顔でいらっしゃるのを、

「お二人の相性をご覧に入れましょうか」

などとこちらから申し出ますと、ああ、それそれ、と腑に落ちたご様子でうなずかれることもございます。

この「相性」という言葉、もともとは東洋の陰陽五行思想における用語でした。

木、火、土、金、水という五行が、組み合わせによって互いの良いところを強め合って良い結果をもたらすなら相性が良い、良いところを打ち消し合って悪い結果に至るなら相性が悪い、とされます。

いっぽう、西洋占星術には、相性にあたる言葉としてシナストリー(synastry)があります。

占星術上の(astro)合(syn)の意ですが、合(syn)はシンパシーとかシンクロとかのシンと同じもので「共に」、「同時に」、「似ている」ということを表しますから、シナストリーとは人と人との親和性、類似性のと言い換えてもよいでしょう。

陰陽五行思想にせよ占星術にせよ、根底には、人には持って生まれた性格、気質、性質というものがある、という考え方があります。

お互いの性質にしっくりくるものがあるのかどうか、合うのかどうか、それが「相性」であり、その良し悪しを占いによって見ることで人間関係がうまくいくかどうかを予測予知する、というわけです。

この「相性」はやがて、人と人との関係について日常的に、一般的に用いられる言葉となってゆきました。

たとえば、

「あの人とすぐ仲良くなれたのは、私と相性が良いからだ」

とは、性格が合うというようなことを言い表しているでしょうし、誰かと誰かが別れたらしいと噂するとき、

「相性が悪かったんだよね」

と言われる、それは単に、これといった理由が見つからないのでそう言っておこう、くらいの意味だったりします。

別れた当人が、新たなゴタゴタの火種にならないよう、相性のせいにしておく場合だってある。

現代において何気なく用いられる「相性」という言葉は、人と人とがもともと持っている性格からして合うかどうかということであって、「相性が良い」とは互いに無理をしなくてもなんとなく合う、だから良い関係になれるだろう、関わり合いになってゆくとしても問題ない、というようなニュアンスがこめられていると言ってよさそうです。

実はここのところに、落とし穴が隠れています。

お付き合いを始めてから、一度もケンカしたことがない彼と彼女がいたとします。

どちらも、相手に何も隠すことなく、本音で接することができ、それでぶつかることもない。

同じ物を見て同じように感じ、同じように考え、同じようなことを言う。

ずっと一緒にいても離れている時間があってもいつも安心していられる。

非常に安定した、円満な二人。

いわゆる、「相性が良い」二人です。

二人とも、ケンカは良くないことだと思う人であるなら、何も問題はないでしょう。

相性が良いのはいいこと、で間違いありません。

では、ケンカ好きな二人だとしたらどうでしょう。

自分からすすんでケンカしたいだとか、ケンカするのは良いことだとまでは思わないにせよ、互いに本音をぶつけあって、ケンカを重ねるうちに次第に相手のことを理解し自分を理解される、そんな手ごたえを求めている二人だったとしたらどうでしょうか。

相性が良いとしても、二人にとっていいとは限りません。

さらに複雑なのは、価値観が違っている場合です。

彼のほうは何ら問題が起きないことを良いことだと思い、満足する人で、彼女のほうは問題が起きたときに解決できるのが良いことだと思い、満足を感じる人だったとしたら?

ケンカのない二人の関係について、彼は満足なのに、彼女は不満であることになるでしょう。

相性が良いことをどう感じるのか。

相手と自然に良い関係になれる、無理なく合う、そうした関係であることを良いと感じるのかどうか、それは本人の価値観によって変わってくる、ということです。

落とし穴はまだあります。

占いをする人間の価値観です。

ケンカがないことをいいことだと考えている占い師は、相性が良いことをいいことだとする傾向があるでしょう。

占い師とお客さまとの価値観が一致するなら、そうした占い師の感じかたは自然に、無理なく受け入れても構わないでしょうが、そうでないならどうでしょうか。

また別に、社会の状況やその時代の価値観というものもあります。

そのときの社会状況、その時代の価値観と同じであるなら、いいことであるとされやすいのです。

このように考えてみると、ある人との関係が自分にとっていいものであるのかどうかは、自分の価値観、相手の価値観、それを伝える占い師がいたとしてその占い師の価値観、さらにはそれらを取り巻く社会や時代の価値観――などなどを踏まえてから考えられるのでなくてはならないことになり、鏡に映る鏡のごとく、際限なく広がってとりとめがなくなってしまうのですが。

ともあれ、占いにおいては、日常の中で「相性が良い」と言われるときの、「良い」というイメージに寄りかからずにいる必要があることはたしかです。

相性が良いとして、それが具体的にどう良いのか。

お客さまご自身にとって、お相手にとってどういうことであるのか。

そうしたことを踏まえてどうすることが、ご自身の満足へと、幸福へとつながってゆくのか。

これらをしっかりとお伝えする、これこそが占いの役目であり、占い師の務めであると、私は思っております。

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